2006 冬 ベルリン、プラハ 旅行記 part1

コラムもすっかり久しぶりの更新となってしまいました、
今回2006年冬にベルリンとプラハを再び訪れた旅行記を記したいと思います。

両国ともまだ観光といった面では、なじみがないかと思われますが、
僕はこの2都市に色々な面で、正直パリより魅力を感じてしまいます。
ここからは自身の買い付けの旅記にて、お客様にも『こんな国なら行ってみたいなあ。。。』
と思って頂けたら、と思います。

今回はリクエストの多かった、画像を交えてイメージを伝えて行きたいと思います。

そもそも、なぜベルリンに魅力を感じたかというと、まず一つ目に、旧東ドイツの中心地、
MITTE(ミッテ)地区という所があり、 もともとこの地区はいまやドイツの首都ベルリンであるにも関わらず、
旧東ドイツの土地という事で家賃は安く住める!と言う事で、
丁度2002年頃から、ロンドンやパリ等家賃の高騰に悩むヨーロッパ各地のクリエイター達がこぞって
このエリアに引っ越して来て独自の文化を作り上げていると言う事でした。
日本でも僕は同じような事を経験していたので 、そういった独自のコミュニティが
どういった形で形成されているのか非常に興味がありました。

二つ目は、そのベルリンのミッテ地区に建つテレビ塔、旧東ドイツのシンボルとして
愛されて来たこの塔僕は何故かこの塔にこの上なく興味を注がれてしまったのです、
心境は三島由紀夫の『金閣寺』、小坊主が、美しすぎて、愛しすぎて焼いてしまった金閣寺。
僕はこのテレビ塔をモチーフにt-shirtsを作ってしまう程、この塔を愛していて、
『金閣寺』の小坊主と同じ心境にとらわれてしまうのです。
実際このテレビ塔は昇って景色を観覧する事は可能なのですが、僕はいまだにそれをしません、
昇ってみると終わってしまう感じがするからなのでしょうか。
僕自身、この答えが出るまで、ベルリンへの旅は続くのかと思います。

そして三つ目がベルリンの音楽シーンなのでしょうか。
eimekuでもひっそりと展開している、ベルリン発のエレクトロニカレーベル、
morr musicと言った物があるのですが、ホームページのヴィジュアル等ここのレーベルの完成度はとても高く、
こんな音楽をクリエイトしている場所はこの目でしっかり見ておかなければと思ったのです。
他にも挙げれば、バウハウスのデザインやユダヤ人の歴史の博物館など
興味をそそがれる物は数えきれない程です。

そういった訳でeimekuのベルリン紀行が始まりました。

テレビ塔、旧東ドイツの人々は、厳しい政府の管理下、休日子供を連れて塔のてっぺんにのぼり、パフェを食べていたのが、贅沢とされていたそうです

ミッテ地区の町並み、旧東ドイツ地区では信号機のキャラがシグナルマンに変わります

迎えた、2006年2月2日、寒い時期用の格安航空券を入手し行って来ました。

行きはスイス航空、そしてチューリヒにて飛行機のトラブルがあったみたいで、
代替機にて現地時間夜の10時にベルリンに到着しました。
ベルリン、テーゲル空港からはバス1本で街の中心地まで出る事が出来るのですが、
その中で重大な事を忘れている事に気づきました。

『ホテルを取り忘れた!』

いつも僕は、日本でネットや電話で予約するのが面倒なので、
現地にて探すことにしているのですが、飛行機の遅延もありこんなに遅く到着する事が
予想出来てませんでした。そんな不安を抱きつつ、前回訪れた時に宿泊した、ホテルザイファートを目指す、
到着したのが11時半にはなろうかとしていたにも関わらず、
レセプションの方はしっかり起きて待っていてくれて、部屋も無事に確保、
さらに3泊したら1泊タダという素晴らしい特典までつけてもらっちゃいました。
いままで色々な都市を訪れて、安く泊まるかわりにやたらとトラブルがあるホテルが多い中、
このベルリンのザイファートは僕の中では5ツ星ホテルです。

スタッフの方も下手なイングリッシュにもついてきてくれて、とても親切、
そしてこのホテル、築150年経過しており、外装、内装が当時のまま残っており、
使用されている古い家具などを見ると素敵すぎて、絶叫しそうになります。
そして、朝食のビュッフェも豪華! 朝はこれらを腹一杯平らげてマーケットに向かうのです。
ようやく、チェックインも済ませ、いつも通りトマトをつまみに、
ドイツビールをぐぐっと飲みながら地図を見ながら予定をたて就寝。。。。

続きは次回へ。。。。

店主

 

さあいよいよ出発です、ヨーロッパの都市間を結ぶ飛行機は小型機が主流です

ああ、寒い、この時の気温は氷点下7度。この旅これ以降寒さ地獄に陥ります

空港近くの風景(写真はLOMO-LCA)

ようやく長い時間を経て到着しました

 

店主